『嘘から始まる恋の夏』は横浜を舞台にした百合ビジュアルノベルだ。
制作チームであるLYCORISはこれまでミステリーやホラー、サスペンスを主軸におき、そのなかで百合を描いてきたが、本作では女の子同士の恋愛を中心に描いている。
橘薫は片思いしていた相手に振られ、海に叫んでいた。そのとき、偶然出会った御凪栞里から兄の想い出を上書きする手伝いを頼まれる。2人の関係は「想い出の地巡り」を通じて特別なものに発展していく。
本作はシナリオやビジュアル、キャラクターボイス、UIに至るまで完成度が高く、百合ゲームの新たなスタンダードと言える作品であった。
本記事では『嘘から始まる恋の夏』のあらすじ、登場人物を紹介した後、ゲーム内容をレビューしていく。
関連記事 『嘘から始まる恋の夏』制作者インタビューを読む
関連記事 『嘘から始まる恋の夏』シリーズ完全ガイドを読む
あらすじ
橘薫は元担任・霜月深玲に恋していた。
ふたりは友だちでも恋人でもない曖昧な関係を続けていたが、ある日、深玲から「この関係は終わりにしよう」と告げられる。
行き場のない気持ちを海に向かって発散していた薫は偶然出会ったクラスメイト・御凪栞里に声をかけられる。
栞里は薫の話に耳を傾けた後、手を握りながらこう切り出した。
「お兄ちゃんを忘れさせてください」と。
キャラクター紹介(声優)
橘 薫 (CV.小市 眞琴)
主人公。市立蒼波第一高校2年生。
飄々とした性格。両親とは不仲。
御凪 栞里 (CV.石見 舞菜香)
薫のクラスメイト。
学業は優秀で人当たりも良いが、人との間に少し壁がある。
猪ノ原 莉久 (CV.藤村 鼓乃美)
薫、栞里のクラスメイト。栞里とは中学時代からの友だち。
いつも元気いっぱいで、2人のボケにツッコミを入れまくっている。
水泳部に所属しており、運動が得意。
霜月 深玲 (CV.松井 恵理子)
薫の中学時代の担任(美術教師)。
教師を辞めた今は美術教室で講師をしている。
お酒と煙草を愛するシニカルな大人の女性。
レビュー
過去を乗り越え、自立した先に見えてくる恋
発売前にYouTubeで公開された前日譚『恋、降る』で描かれていたとおり、薫は両親とのイザコザをきっかけに家出しており、高校生になってからも親子の間には溝ができたままだ。
一方の栞里も複雑な家庭環境のなかで、父に言われるがままに生きており、兄のようにならなければ生きている意味がないという呪縛に苛まれている。
どちらも家庭に問題を抱えており、親子の関係性を再構築しない限り、それが人生において足かせになる。
薫は家出をしたときにかくまってもらって以降、深玲に恋心を抱いている。しかし、最初に振られてからも続いていた心地の良い関係は、深玲の「恋人ができた」の一言であっけなく終りを迎えてしまう。
深玲からハッキリと振られた薫は思いを断ち切って、前に進まなければいけない。
栞里は父の期待に沿うように生きていた兄の亡霊と決別しなければならない。そのために兄との想い出の地を薫とともに訪れて、その記憶を上書きする「想い出の地巡り」をはじめている。
2人は想い出の地巡りやお泊まり会のようなイベント、日常の何気ないやり取りを経て、時間をかけて過去と向き合い、消化していく。
薫と栞里は周囲の手も借りつつ、お互いを支え合い、今まで避けてきた歪んだ親子関係や過去に立ち向かう。その先で成し遂げた自立こそが本作のテーマと言えるだろう。
キャラクターをよりリアルにする言葉遣いとボイス
本作のキャラクターたちが生き生きとしているのは言葉遣いとボイスによるところが大きい。
「こんなのだっけ」→「こんなだっけ」、「じゃあ、行こう」→「じゃあ、行こ」、「やっぱり」→「やっぱ」など、たった1文字にも気を抜かない緻密なテキストへのこだわりによって、わずかな心の揺れまでもが読み取れるシナリオとなり、キャラクターのリアリティが増している。
声優の好演についても触れておきたい。配役も良く、シーンによって変化を見せる演技の巧みさがキャラクターの心情を映し出している。
たとえば、薫には同級生たちに見せる飄々とした姿と深玲に見せる甘えた姿の二面性がある。薫役の小市氏はそれぞれに見せる表情を切り替えながら演じているが、大人っぽさと子どもっぽさの2パターンではなく、声色や間を変えながら多くのグラデーションを作り、薫のさまざまな感情を細かく演じ分けている。
本作は細かい感情の揺れ動きにプラスして二面性のあるキャラクターが多い。小市氏だけでなく、それぞれの声優がキャラクターの心情に寄り添い、それを演技に反映させることで本作の完成度がより高まっている。
ここまで薫と栞里を中心に書いてきたが、まわりを固めるキャラクターたちも魅力にあふれている。
中学時代から栞里に恋心を抱いていた莉久は3人のなかではツッコミ役にまわることも多く、少し乱暴な言葉遣いだが、その裏ではとても気を使っていて、誰よりも栞里や薫のことを思いやっている良い子。表情がコロコロ変わるのもかわいらしい。
私のイチオシは莉久!照れたと思ったら子犬みたいに弱気になっちゃったりするところがかわいい!
深玲はクールで、会話もシニカルな返しが多いくせに突然甘やかしてきたり、思わせぶりなことを言ってきたりする憎めないイイ女。素っ気なさの裏側にやさしさが垣間見えるのがまたニクイ!
いや……これは惚れるって!魔性か!
薫たちの担任・朝日先生は頼りなく見えるし、酔っ払うとグニャグニャになっちゃうダメなところもありつつ、いざというときはちゃんとフォローしてくれる大人。
それ以外にも薫の両親や栞里の父親など、一癖も二癖もあるキャラクターが現れ、ストーリーに深く関わることで物語にさまざまな変化を生み出し、作品に深みをもたらしている。
透明感のある美麗なイラストと豊富な私服コーデ&ヘアアレンジ
塩こうじ氏が描く透明感のあるイラストは本作の大きな魅力だ。
立ち絵からイベントCGまでキャラクターの表情が豊かで、透き通った瞳に吸い込まれそうになる。キャラクターに当たる光の表現もキレイで、日の光や影、夜の屋外ではライトの光まで陰影のなかに多彩な色の表現があり、各シーンの雰囲気を高めている。
ヘアアレンジや私服の種類の多さがまた良かった。
普段は髪を下ろしていて、休日に出かけるときは編み込みして、見えるようになった耳にアクセサリーをつける。体育のときは髪をまとめるなど、場面に応じて髪型が細かく変わっていくのが、おしゃれな印象だ。
高校生が主役の本作だが、学校生活以外に想い出の地巡りなどで出かける機会が多いため、私服のバリエーションが豊富なのはかなり魅力的だった。服のセレクトにもキャラクターの好みが反映されていて、次のコーデはどんな感じかな?と楽しみになっていた。
作中で薫と栞里が一緒に買ったパジャマを着ているシーンもあり、作中のイベントが服とリンクしているもの良かった。
おしゃれでかわいくて私服コーデ最高だった!
ローディング画面などに出てくる、謎キャラ・うしもちゃもかわいい!
多くのアニメ作品で背景を担当している株式会社千住工房による背景CGもキャラクターに負けず劣らず美しかった。
薫たちの通学路となる馬車道の背景は木の表皮など細部まで丹念に描かれ、息づく緑や味わいのある木のベンチが良い雰囲気を出しているし、きらびやかな光に彩られた横浜の夜景には目を奪われた。
あえて動かさないことで生まれる自然さ
本作では立ち絵のみならず、イベントCGにもアニメーションが導入されている。
動きに注目して見てみると、普段は大きな動きをしていない。呼吸で身体がわずかに上下し、髪が少し揺れる。時折まばたきしたり、しゃべれば口が動く。しかし、表情はコロコロと変わっていくし、手の動きは多い。
キャラクターを動かすなかで、本作のこだわりが見えるのは”あえて動かさない“ことだ。
普通に過ごしているなかで、強風でもないのに髪がバサバサと揺れていることもなければ、過剰に動くこともない。あくまで自然な動きだけを取り入れる。それがキャラクターのリアルさを感じさせる要因ともなっている。
口の動きを上手く制御できていない部分もあり、シーンによってはしゃべり終わっているのに口が動き続けていたり、逆に口が開かなかったりすることもあった。改善の余地はあるが、ささいな部分であり、そこまで気にならなかった。
プレイ時間は15時間
筆者のプレイ時間はボイスをすべて聞いて15時間。UIもシンプルでテキストを読むのに集中できた。
選択肢はなく、エンディング後のエピローグまで進めばCGはすべて解放される。
チャプター分けがされているため、今日はここまで進めようという感じでプレイできたのが個人的には良かった。
エンディングに流れるメインテーマの弾き語りバージョンが染みた!
総合評価
総評:傑作
5/5
『嘘から始まる恋の夏』は女子高生の成長の先に見えてくる恋を描いた百合ビジュアルノベルだ。
栞里が兄との想い出を上書きするためにはじめた「想い出の地巡り」を繰り返していく過程で、今まで目を背けてきた過去や家庭の問題と向き合う。くじけそうになりながらも支え合い、自立を目指した末に結ばれるストーリーには心惹かれた。
キャラクターの言葉遣いや動き、ボイス、イラスト、背景に至るまで一切妥協せず、細部までこだわり抜いたことでキャラクターの感情や場の空気感が手に取るように伝わってくる。
現時点において、本作は百合ビジュアルノベルの新たなスタンダードを生み出したと言える。間違いなくプレイ必須の作品だ。
- 主人公たちが自立を目指すストーリー
- キャラクターを自然に見せるこだわり
- 透明感のあるイラスト
- 特になし
関連記事 『嘘から始まる恋の夏』制作者インタビューを読む
関連記事 『嘘から始まる恋の夏』シリーズ完全ガイドを読む
『嘘から始まる恋の夏』
- 対応機種:PC
- 発売日:2023年9月15日(パッケージ版など)、2023年11月4日(Steam)
- 発売元:LYCORIS、Sekai Project(Steam)
- 開発元:LYCORIS
- ジャンル:百合ビジュアルノベル
- シナリオ:Akeo
- 原画・キャラクターデザイン・彩色:塩こうじ
- 筆者プレイ時間:15時間
- レビュー時のプレイ機種:PC(ver.JP_1.0.1)
※2023年11月4日時点